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関わるすべての人を幸せにする 株式会社 Cactus-キャクタス-

TEL. 06‐6344‐3383

〒530-0003 大阪市北区堂島2丁目1-25-702


株式会社 Cactus
-キャクタス-

インタビューINTERVIEW

AERAインタビュー 輝くリーダーたち


経営者という仕事が
自分を成長させてくれた


30歳で脱サラし、起業して初めてわかった人とつながる大切さ、周囲に感謝する気持ち。
450人の従業員とともに今、夢に向かって突き進む。


「目は口ほどに物を言う」とは、よく言ったものだ。JR大阪駅に近いオフィスで会った松永寿也さんは、笑顔の中にも凛とした目をしていた。「まっすぐな人だな」──。直感的に思った。
 大阪一円に30店舗のローソンを運営する「株式会社Cactus(キャクタス)」の代表取締役を務める松永さん。従業員数450人、年商約49億円。コンビニオーナーと呼ぶより、経営者と表現したほうがしっくりくる。
「まだまだ。100店舗を展開するのが目標なんです。やります、いや、できますよ。絶対に」
 強気な姿勢はどこからくるのだろう。

とんでもないガキ大将

 人をぐいぐい引っ張るリーダーシップは、生まれつきだ。「小学生のころからやんちゃでした。先生の言うことは聞かない、いたずらはしょっちゅう。悪ガキでしたよ」
 と、松永さんはくったくなく話す。まだ田んぼが残る、兵庫県伊丹市で過ごした幼少期。都市開発で町は急速に活気づき、児童数の増加で新しい小学校へ転校する際には、教師の間で「要注意児童」と引き継ぎされていたほどだったという。
「性格なので今でもそうですが、負けず嫌いで、いつも一番でないと気が済まない。でも、小学3年生の終わりに少年野球チームに入って、人生観が変わったんです」
 小学生で「人生観」という言葉を意識したとは、並大抵のことじゃない。「ひとことで言うと、人間、死ぬ気でやれば、できないことはないと悟りました」
 自ら進んで入ったのは、後輩に、今やヤンキースで活躍するマー君こと田中将大選手らがいる、地元の名門少年野球チームだった。
 365日、野球漬け。「勝ち」に執着する監督やコーチ陣の指導は猛烈に厳しく、ショートを守っていた松永少年は「休憩なしで200~300本ノックは当たり前」の毎日だった。練習のつらさに耐えかねて泣き出したり、辞めたりする子が多かった中、冷静だったという。絶対泣かへん。己を貫く、リーダーとしての資質は確かにあった。

本気でやればできる

 ある夏休み。恒例の練習合宿で、異変が起こった。「朝から晩まで練習、練習。フラフラでノックを受けていて、初めて『このままやったら、死ぬんちゃうか』と思いました。でも死んでもええわ、やり遂げるぞと、開き直ったんです」
 心身ともに限界だった。でも動くことをやめなかった。倒れても倒れても。「そうしているうち、自然と涙がポロポロ落ちてきたんです。思ってもみないことで自分でも驚きました。その時、ああ、人間、涙が出るほど追い詰められても死なへんのや。どんなにしんどいことでも、死ぬ気で頑張ればやり遂げられるんやってわかったんです」
 努力は必ず報われる。小学生にして体験した悟りの境地が、以降の人生の判断基準になったという。「あのころ(少年野球チーム時代)のしんどさに比べたら、大したことはない」と。 それだけじゃない。野球からは多くのことを学んだ。
 高校2年生の時、野球部のキャプテンになった。練習は厳しくて当然だ。そのうえ、監督・父母・部員らの言い分や要望に、真摯に応えようとすればするほど板挟みになり、雑用が増えた。これがしんどい。
「組織の縮図を見ましたね。気付いたことは、いくら部内で面倒なことが起きても、キャプテンは逃げたらアカンってこと。逃げても何も解決しない。勉強になりました」
 と、松永さん。大人や仲間にもまれて育った少年は、社会人になりビジネスで花を咲かせていくことになる。

愛をもらったダイエー時代

 大学へ進学するという選択肢もあったが、高校卒業後すぐ、ダイエーに入社した。
「将来の目標もなく大学へ行くのに抵抗があった。それより早く、社会で何かにチャレンジしたい、自力で上を目指したい気持ちが強かったんです」
 1980年代はスーパー全盛期だ。中でも75年にコンビニ・ローソンの展開にも乗り出すなど新手を繰り出していたダイエーの勢いは、目覚ましかった。特に、アメリカの流通事情に精通した創業者・中内㓛氏が唱える実力主義が、松永さんを奮い立たせた。
「『学歴は関係ない。結果を出して、同期の誰よりも早く出世してやる』と、大きいことを言っていました」 実際、朝から晩まで「テンションマックスで働いた」。そんな姿を見ていた10歳上の先輩が、弟のようにかわいがってくれた。働き方が変わったのはこのころからだ。

がむしゃらな自分を見てくれる人がいる。
認めてくれる仲間がいる。それだけで人はまた頑張れる。


 店に入るのも、担当していた食品売り場を作るのも、帰りも一緒。休日まで、家族ぐるみで接してくれた。
「本当に無条件に愛して、かわいがってくれたんです。人って愛されて、認められたら、その人のためにもっと頑張ろうとパワーが湧いてくる。この学びが、部下ができたあとのマネジメントに生きた気がします」
 結果がすべて。自分の力を信じ、自分のために働いてきた松永さんにとって、愛情を注いでくれる先輩と仕事に向き合った日々は、相手を思い、喜びを分かち合う“商いの醍醐味”を実感した時間だったのだろう。出会いは時に、人を変える。
 最年少の23歳にして役職に就いてからも、出会いには恵まれた。「休日は休息するもの」と、ワーク・ライフ・バランスを教えてくれた上司。「全部任せる」と自由に店の運営をさせてくれた上司──。「今の自分があるのは、ダイエー時代に出会った方々のおかげ」と、感謝している。
 
「金持ちになってやる」

30歳の時、退社してローソンの経営に乗り出した。「出世できるのにもったいない」と反対の声が多かったが、当時のローソンの親会社はダイエーだ。オーナーになった元ダイエー組も多く、松永さんは転職にこれっぽっちも不安はなかったという。
「頑張った分だけ返ってくるコンビニ経営に賭けてみたかった。金持ちになって、ベンツに乗るのが夢でした」 退社前に結婚した妻も応援してくれ、96年、大阪北部の上新庄駅前に1号店をオープン。がむしゃらに働いた。店の売り上げは、もちろん絶好調だ。フランチャイズビジネスは、本部の指導や相談が入るのが常だが「自分は小売りのプロ。教わることはない」と、豪語するほど繁盛していたという。
 だが世の中、甘くない。1年ほど経った時、近所に競合店ができ状況は一変。売り上げがガタ落ちした。翌年には収入がゼロに。辞めていくアルバイトも出た。くしくも妻のおなかに新しい命を授かったタイミングだったという。
「その時、ローソンの支店からたくさん人が来てくれて、全力でサポートしてくれたんです。ふだん横柄な態度だった自分のために……。ローソンという会社の懐の深さを知りました」
 頭をガツンと殴られた気がしたという。自分なんて小さい。仕事というのは、周囲のおかげで成り立つものだと。
 だが、ここでくじけないのが松永流だ。2005年、借金をして2店目をオープンさせた。夢に向かって前進あるのみ。攻めの姿勢は10店、20店と店舗数が増えても変わらなかった。

家族(クルー)と夢を共有したい

 もちろん、変わったこともある。クルー(従業員)が自分と一緒に年を重
ねていくにつれ「この子らを何とかしてあげたい」という親心が募ってきた。「学生時代にバイトで来てくれた子が25歳くらいになって──。自分の子どもなら、まだバイトか?と心配になるでしょ。これはあかん。ちゃんと社員になってもらって、みんなの夢を応援してあげたいと考え出したんです」
 
05年に法人化し、Cactus-キャクタス- という組織を作ってはいたが、仲間を正社員として迎え入れるまでには至っていなかった。事業を拡大しようと、飲食店に乗り出そうとさえ考えたという。
「ベンツに乗る夢はどうしたんですか?」とつっこんでみると「夢は変わるもの。今は“家族”である社員たちと頑張ること。我々の店で大阪を元気にしていくことが夢です」と返ってきた。
 お気づきだろうか。会社員から起業家へ、そして経営者へと、組織を大きくするのに反比例して、松永さんの“俺様度”は小さくなっている。「経営者という仕事が、自分を成長させてくれたんかな」という言葉は真実だ。
 ただ、社員を家族と呼ぶ“チーム”にするには時間を要したという。
 高いレベルの仕事をクルーに求めるあまり、反感を持たれることもしばしば。休日に花見を企画しても参加者は数人、という時期もあったと明かす。
「中途半端が嫌い。全員が参加するまで毎年花見を企画しました。3年くらいかかって、みんなが笑顔で集まったときはうれしかった。苦しいことも楽しいことも共有する、私が作りたいチームはこれだ、って改めて感じました」 

高校生から主婦まで、さまざまな人が働くコンビニゆえの難しさもあるが、夢を共有する一体感が尊い。そして今、9月に30店舗目をオープンさせた松永さんは新たな目標を作った。ローソンという、より大きなチームを自分たちでもっと盛り上げたい。
 苦しかった時に助けられたこと、複数店舗を独立した形で経営するMO(マネジメントオーナー)制度の発足メンバーとして、切磋琢磨できる全国の仲間との出会いをくれたこと。何より自分を経営者として認め、育ててくれたこと──。ビジネスパートナーとして22年間、苦楽を共にしてきたローソンにそろそろ本気で恩返ししたい。
「競合が増えたり、人手不足が課題だったり。コンビニは今、厳しい時代といわれますが、商売で肝心なのは『人』ですよね。チーム・ローソンが力を合わせれば、最後は絶対に勝つんです」
思いが伝播して賛同するオーナー仲間も増えた。妥協しない松永さんの目は、もう次のステージを見ている。


まつなが・ひさや

1965年 兵庫県生まれ
1974年 小学校3年の時に少年野球チームに入る。猛特訓の日々が続く
1978年 中学校へ進学。以降、高校卒業まで野球部に所属
1984年 高校卒業後、ダイエーに入社。当初は食品売り場を担当
1989年 最年少でアシスタント・マネジャーに昇進
1991年 最年少でマネジャーに昇進
1995年 結婚
1996年 ダイエーを退社ローソン経営をスタート。1号店は大阪・上新庄駅前店
1998年 長男誕生
2001年 長女誕生
2005年 有限会社Cactusを設立
2010年 ローソンと新たなパートナーシップを結び、複数店舗の独立経営をおこなう
     MO(マネジメントオーナー)1期生となる
2013年 株式会社Cactusへ組織変更。
     大阪一円に店舗を拡大中(大阪市・門真市・東大阪市・吹田市・大東市・守口市・四条畷市)
2018年 9月に30店舗目オープン
2018年 12月に31店舗目オープン予定

2018.10.1 No.46号 AERA「輝くリーダーたち |01| 松永寿也さん」に掲載




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